不思議なもので、Theyだと思うとホイホイ曲も歌詞もできた。「歌になりそうな場面」を想像するという、SFとかファンタジーっぽい手法というか。面白そうだったらなんだって曲にしちゃえばいいんじゃんと思えて、軽い気持ちでサクサク作った。そうやってできたのが2010年の最初の自主制作の弾き語りCDRで、架空の国のおみやげ集みたいな、そんな気持ちで作った音源だった。
内容的には「ここではないどこか」について歌っているものがほとんどで、よっぽど日々の生活にうんざりしてたんだなあと思うが、この時期の曲の変拍子、というか、正確には拍を数えたりとかしてなかったけど、とにかく変な拍子の曲たちについては少し場所をとって書いておきたい。
これは何か奇抜なことを狙ってこんなふうになったのかというとそうではなく、むしろ本人的にはいたって自然に任せて作った結果で、じゃあなんでこんなことになるのかといえば、自分の言葉をメロディーとリズムの交差点でどうグルーヴさせるか、ラップ的な用語で言えばどうフロウさせるかということをあれこれ試していた結果、訛りも含めた自分の語りのグルーヴをギターのリフに置き換えてループさせちゃえば、自分だけのノリが出せるじゃんみたいな感じで、だいぶ荒っぽい身体的な作曲に全振りしていたからである。
そもそも、ギターと歌で曲を作るにあたって、日本語の言語的な特性、音節ごとに母音がくっついてきて拍を埋めてしまう、のペーっとしたダイナミズムのなさをどう扱うべきかは悩みの一つだった。いにしえより日本語でロックは可能かとか日本語ラップはどうかとかの論争で散々こすられ続けてきた話題だと思うけど、とにかくメロディー的にもリズム的にも起伏が少なくて表情が乏しく感じられてしまうのを避けたかったのだ。発声や発音を崩してノリをだす(外国語っぽく近づける)のも自分的にはあんまりだったので、じゃあいっそ、喋っている文の中のフレーズ、句の抑揚に合わせるように伴奏のリフを作ってそれを一小節としてしまえば、日本語の自然なグルーヴが作れるんでは、というような発想だったのだと思う(今となってはこのように言葉にできるけど、当時はなんとなく直感でやっていた)。結果、グリッドにあわせてリズムをとっているようには聴こえない、変な拍子の曲たちができていくことになる。リフのフレーズ自体を慣用句として覚えていたので、全くの当てずっぽうで弾いていたわけではなく、ライブでも再現できていた。
そうしてできあがった曲たちは、おそらく一般的なポップスの基準からするとずいぶん逸脱したものだったと思うが、シャッグスやキャプテンビーフハートがありなんだからこれだってアリでしょ、という不遜な態度で過ごしていた。思えば、円盤やRaw Lifeなど2000年代のカオティックなインディーの雰囲気を浴びて育ったことによる、自主で音楽やるなら尖ってなんぼ、みたいなイタめな自意識の影響も大いにあった。
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