2025年3月27日木曜日

⑦砂の時間 水の街

 リリースツアーの途中ぐらいに、『Tones』が自分の内面の心象風景みたいなものだとしたら、その次に来るのは自分と、自分が生きている場所についての作品なのかなーと、なんとなく思っていた。とすると、それはこれまでの人生で一番長く過ごしてきた街である東京ということになるのだろう。「ここではないどこか」について曲を作り始めて、「自分のいるここ」に戻ってきたという感じ。結局それってずっと同じところにいたって話だが。
 中1からの東京育ちである俺には、地元意識というほど土地に根ざした感覚はなく、かといって生まれてから小学校卒業までを過ごした静岡には実家もなければ親類もいないので、なんというか消極的なホームタウンとして、東京というものはあった。別にここじゃなきゃいけない理由ってあんまないんだけど、でもまぁ...他に行くとこないしみたいな感じ。だからかはわかんないけど、自分にとっての東京は常にどこか虚無的で、土台のない蜃気楼みたいなものとして写っていて、シティポップみたいな、キラキラした都会の雰囲気みたいなのって個人的にはいまだにあんまりピンとこない(これに関しては世代的な感覚もあるかもしれない、っていうかただ自分が根暗なオタクってだけかも)。東京という街を描写するのに自分から出てくる語彙は、砂とか、水とか、不定形のもので、そこで亡霊みたいなものが行き交ってるっていう世紀末っぽいイメージ。あとはノイズ、混沌。

 そういうこともあって、アルバムに向けて曲を作り始めると、仄暗い感じの曲が多かった。コロナや戦争で、明るく能天気な曲なんて全然リアリティー感じられなかったっていうのもある。ただ、それでも何かしら希望っていうかちょっとした光みたいなものはあって欲しいなと思いながら、制作を進めた。やっぱり俺はAKIRAとか読んでたし、崩壊する世界とそこでたくましく生きる人みたいな、そういう感じのが出ちゃう。
 
 コロナで暇な期間に楽器ばかり触っていたのがアレンジに役立った。サウンド的には、雑味混じりでも人間が魅力だねみたいな、そういうのがいいかなと思った。どうせ東京なんて汚いんだから。
 『Tones』以降サポートしてもらってたバンドメンバー(潮田雄一[Gt]、池部幸太[Ba]、光永渉[Dr]、山本紗織[Fl, Key])のみんなには参加してもらいたいと思った。東京に来て音楽やカルチャーに興味を持ち、やがて自分でもやるようになってたくさんの人と知り合うことができた自分にとっては、東京の音楽には友だちが参加していて欲しかった。でも四人だけかい。まぁそれも趣深い。俺はいつも決まった少人数のメンバーと端っこでコチャコチャ盛り上がってるような暗い学生だったんだし。
 録りまで終わったあとでミックスを誰に頼もうかという話になり、内田直之さんにお願いすることにした。ウッチーさんと一緒にやるのは今回初めてだったけど、なんかもう、ずっと前からとっくに知り合いだったみたいな感じだった。いつもジャケットをお願いしてる我喜屋さんは、このアルバムには絶対これだっていう最高のアートワークを描いてくれた。



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 ここまできて、もうそろそろいいのかなという気がしている。本来砂の時間のセルフライナーノーツとして始めたんだから、もっと内容について書くべきなのかもしれないけど、前回までの6回分を見直しても、基本的に俺は事後的にしか自分のやっていることがわかっていなくて、だいたい過去形でしか記述していない(そもそも人間ってそんなもんだろうか?)。もう少し時間が経ったらまたこのアルバムについて書けることが色々出てくるのかもしれないので、その時にでもまた。

 これまで自分が躍起になってやってきたこと、自分のことばや歌、リズムを探そうとすることに、とっくの前から何か指針を示している(と、俺が勝手にそのように受け止めている、そのように受け止めさせてくれる)人たちがいて、そういう人の音を聴くと泣きそうになる。松竹谷清さんのことばやリズム、宮野裕司さんのサックスの音色に深く心を動かされた時、いつでも自分を肯定してもらったような気持ちだった。きっとその人たちにとっても、先導する松明のように勇気を与えてくれる先人がいたはずである。
 音楽はそれ自体では形のないものだけど、時間や場所を超えて人の心に働きかけうる。そういう時そこには生命が宿っていて、ちょっとした魂のかけらみたいなものを残していく。目には見えない文化的なDNAみたいなものが、影響しあって形を変えてどこかへと飛んでいく。いつかそうやって誰かに出会うかもしれない、その可能性こそが自分にとって何より大事なもので、音楽を続けている一番の理由です。



(終)

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