自分の声は、そんなに大きくはりあげなくていいのだ、と思った。もちろん、20代の頃の勢い任せの無防備さもそれはそれで尊いものだったのだろうが、今や自分の持っている身体やことばが一番サウンドする音量で演奏すべきだった。ずいぶん昔、ジョニーグリーンウッドが何かのインタビューで、「日本語の歯擦音の優しい響きが好き。日本に来るとみんなささやいて喋ってるように聞こえる」と言っていたのを思い出す。そして、自分はガットギターで歌うのが自然なのだろうとあらためて思いなおした。初めて自発的に手にとった楽器は実家の押し入れに眠っていたガットギターで、生まれたばかりの小鳥が初めて見た顔を親鳥と思うという話が頭をよぎった。家だけでなく公園やら海辺やら、あちこち持ってまわって弾いているうちに、少しずつ、これは自分かもという音を鳴らせるようになっている気がした。それは、今まで何も考えずにやっていたことをもう一度丁寧にやり直すような道のりだった。
中心に歌とギターがあって、とにかくシンプルなアレンジ。良い響きがあって、そこに立ち上がる空間に何か気配が宿るような。そんなことを考えながらアルバムの曲を作っていった。また、つたなくてもいいからデモの時点でアレンジをある程度まで自分で完結させるべきだとも思った。アルバムに通底するムードはもうイメージできていたので、参加してもらう人たちに対してそれを示すのは自分の役目だった。デモの曲たちをドキドキしながらZAKさんに送ってみたところ、「すでにいい感じ」と返信が返ってきて、自分の思い描くものが間違っていなかったとホッとしたのを覚えている。
こうして『Tones』(2019)はできあがった。自分としては良いものができたという手応えがあった。友人の中には「なぜこんなに簡素なアレンジにしたんだ」という意見もあったけど、自分にとってはこうでなければありえなかった。
名義を変えたことについても、今までの活動がリセットされたみたいになるし損じゃないかと言われたりもして、自分なりの必然性って音楽だけでは伝わらんもんか〜と思ったが(そもそもちゃんと伝えようとするとこれぐらいの膨大な長さになっちゃってるわけで)、それでも感想をもらってるうちに、伝わってる人には伝わってるんだなと実感できた。
アルバムをライブでやるために、また友人たちを誘ってバンド編成を作り、ツアーにも行った。みんなで演奏すると曲にまた新たな生命が吹きこまれていくようで、自分で作ったものの可能性を信じられて嬉しかった。そしてその頃にはもう、漠然とではあるけど次の作品のイメージは湧いてきていた。
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